宮部みゆき斜め斬りを許さず

年間千冊読むための、見切り千両。隠居してから読めばいい本は、読み始めて一刻も早くそう判断して放り出し、斜め読みモードに移行する。これがコツ。捨てる決断力に価値宿る。悲しむべきは、いまどきのビジネス書は8割方そうなってしまうこと。それは、粗製乱造とまでは言わずとも、数打ちゃ当たると思っているらしい出版業界の事情を素直に反映したものだと手前は思っている。

ただ、ビジネス書の世界においても、今、物語性の価値が再発見されている。インテルではSFによってイノベーションを構想するという、そんなような本を今日読んだ。発見は、物語のあるところで起こる。となれば、より多くの皆様の想起する物語を事例として取り込むこと、結構ポイント高いんじゃない、という発想に至る。イノベーションは一日にしてならず、物語るべきネタに恵まれたイノベーションは、凡百の改良とは比較にならないほどの価値を社会にもたらす。

だから、技術的なイノベーションは、その利用シーンを物語として語るべき。物語として面白ければ、成功する可能性も高かろう。物語として退屈極まりない新製品が、市場を席巻するなんてことは、この時代には起こり得ないのではないか。

つまり、新製品はまず、利用されるシーンでの物語をもって判断すべきと。

でも、どうなんだろう、日本の語り部の皆様、小説家の先生方の、物語を紡ぐ力は、今、どうなっているのだろう。個人的には、決して斜めに読もうという気にもならない村上春樹氏をはじめ、国内なら宮部みゆき氏、国外ではダン・ブラウン氏、などなど。斜めに読めないy。斜めに読まない、というのではなくて、面白しく速読する必要を感じない。だから、読むのみやたらと時間がかかる。今回読んだ宮部みゆき「泣き童子」は、わずか四百頁ちょっとだから、せいぜい数時間かと思ったら、まるまる一日かかってしまった。慎重に読んだ結果である。

今回は特に「まぐる」の話が面白かった。マグルといえばハリー・ポッターのシリーズでは人間のこと。そして宮部さんの世界では、ある種の怪獣だ。その怪獣退治、怪獣攻撃隊MATが出てきて苦戦したあげく、郷秀樹が変身して「帰ってきたウルトラマン」が戦ってもいいような、そんな状況で、過去からの人間の英知が、怪獣と倒す。いや、ここでは妖怪と呼ぶべきか。帰ってきたウルトラマンというより、ゲゲゲの鬼太郎を引き合いに出すべきかもしれないが、寸法が、ウルトラマンのサイズ。

宮部みゆきさ妖怪退治の話といえば、博打眼、これも面白かった。突破口は、民間伝承であった。あんな小さな毒のない可愛い置物が、よってたかって悪意と呪いの塊を解毒する。理性に照らせば到底リアルとは呼べないような光景が、しかし圧倒的なリアリティをもって迫ってくるのは、心のどこかに共感する原始のミラーニューロンが誰にでも備わっているのか、そんなような感動がある。今回の、巫女ではないけど、巫女のような女性性の伝承。なにかこれも感動的だ。父性は敵を力によって征伐することを志向するのだが、母性は敵の感受性に訴えることで自滅へといざなう。ある意味、柔をもって剛を制す、その最高の実現形になっているのだ。

宮部みゆき作は、概して長い。長いけど、斜めに読む気が全然おきない。慎重に読んで行くこと、それが快楽になっていて、快楽は読んだ時間に比例する、かのようになっている。だったら、時間をかけて読むしかないじゃないか。